Aさん電車に乗る(後編)

山形駅にて


7月10日
  大宮駅で事前に確認した時には当日30分前に来てくれれば、前日の電話連絡は特に必要ないとのことでしたが、私は念のために大宮駅へ電話を入れて7月11日に8時のつばさ181号に車椅子を使うAさんと介助者として私、その他1名が乗車する事を内勤の方に伝えておきました。さらに行き先が山形駅であり、そちらでも駅員のサポートを受けられるように連絡を頼みました。

7月11日
5時30分
私達の大冒険は朝5時半起床で始まりました。前日千葉から駆けつけてくれた聾学校勤務のSさんは養護学校での仕事の経験もあり、最近も車椅子を使っている方と長崎のハウステンボスまで行ってきたという頼もしい助っ人です。

6時5分
私とSさんは歩いて東武野田線の愛宕駅へ到着。まもなくAさんのお母さんが運転した車も到着。
さっそくAさんには車椅子に乗り換えていただき、チョット不安そうなお母様との挨拶もそこそこに、Aさんに3人分の愛宕−大宮間の乗車券を子供2枚、大人1枚を購入してもらいました。もちろん6月20日の下見で解っていますから今回は切符購入で戸惑うことは有りませんでした。

今回の最初の関門は改札を入った直後の5段程度の階段です。改札の駅員がAさんに対して「自分で歩けますか?」と聞いてきます。確かに車椅子の後ろにクラッチを縛り付けていますから歩けるのかと聞いてきたのかも知れませんが、ここは是非とも車椅子ごと担いで階段を昇ってみたかったので尽かさず「ごめんなさい。手を貸して欲しいのですが」と伝え、駅員さんとSさん、そしてAさんのお母さんが車椅子ごと階段を持ち上げました。私はというとその様子を写真に撮ったり、ビデオカメラを回したりで見ているだけ?!

駅員から「一番前の車両で大宮駅まで行ってください」ということで、改札口がある一番後ろから一番前までホームを車椅子を移動させます。愛宕駅はホームの幅が狭く屋根を支える柱が立っているので狭くなっている箇所が何カ所か有ります。Sさんが後ろから押してくれているものの車椅子の車輪が点字ブロックに引っかかり一瞬線路寄りに車椅子の向きが変わったときには私はビデオを撮っていましたが、ちょっと慌てました。

6時12分
6時23分の予定より1本早い12分の大宮行きに乗ることが出来ました。ベテランのSさんが「何があるか解らないから少しでも余裕が有る方が良いのですよ。」と話してくれましたが、このあと大宮駅で小走りでホームに向かうはめになります。

さで東武野田線の車内は土曜日の早朝ということもあり6月20日のように混雑はしていませんでした。混んでいないのに乗車直後に座席の一番はじに座っていた人がAさんに席を譲ってくれたお陰でポールに捕まってAさんは安定した姿勢で座っていられたし、すぐ脇に車椅子を置くこともできました。

東武野田線の車内にて。車椅子はポールに縛り付けてある

ところが車椅子は電車が減速して停車する度にグラグラと揺れて不安定です。その度にAさんが押さえているのですが、どうも不安定です。そこで私のリュックサックの中を探しましたが、紐は入っていなかったのでパソコンとプリンターを接続するケーブルを取り出してポールと車椅子を結わえてようやく安定しました。
それを見ていたSさんは「車椅子の背もたれにあるポケットに紐をいつも入れておくと困らないですよ」と教えてくれました。昨日のうちに教えておいてくれればいいのに・・・・。

この日は大宮駅まで車内が一杯になって押し合いへし合いになることはありませんでしたが、Sさんは学生時代にボランティアで養護学校の修学旅行に常磐線のラッシュ時に何台もの車椅子の人を乗せて上野駅へ向かった事があるそうです。その時に感じたのは乗客の冷たい視線と抗議の目線だったそうです。

7時0分
大宮駅へ着いて乗客が全て降りた後にAさんに車椅子に移ってもらい、Sさんに押してもらい電車を降りました。東武大宮駅では駅員が待っていて、改札口からエスカレーターへと誘導してくれました。前回は下りでしたが、今回は昇りです。といっても手順は変わらず、エスカレーターの入り口をロープで塞ぎ、乗っている人が全員降りたのを確認後一旦停止して平らになる部分を出します。そこへ車椅子を乗せて上昇していきます。今回はオルゴールもなくスピードも普段とかわり有りませんでした。

東武野田線大宮駅・車椅子対応エスカレーター

2階へ上がって、予定より時間30分も早い7時に大宮駅に着いたこともありゆっくりJR大宮駅の改札へ向かいます。前日の連絡では改札を入り新幹線の改札で申し出れば内勤の者が対応するということでしたので新幹線用の改札で申し出ると「時間もあるし、暑いですから待合室でお待ちください。7時40分頃お迎えに上がります」ということで、前日に伝えておいた私とAさんの名前をもう一度改札の人に伝えました。

JR大宮駅・改札口

改札の脇にあった売店で、朝食を取って居なかったSさんと私はお弁当を、Aさんはジュースだけを買って待合室へ入りました。3人とも普段起きない時間に起きたのでまだ頭が働いていなく、ボーっとしています。

7時45分
それでも時間がたち最初に指定された7時30分がすぎ、40分が過ぎても誰も迎えに来てくれません。こちらも時間が気になりだして行動開始です。改札へ戻り先ほどの人に話をしていたところに、胸に「新入社員」とバッチを付けた方が駆けつけてきました。

開口一番

まあ、こんなやり取りが有ったわけで確実にJR側の連絡ミスが有ったようです。でも発車時刻が15分前と迫っていて、文句をいっている暇などありません。3人と車椅子のAさんは小走りで改札を一端出て、コンコースをソニックシティーの方へ向かい、途中で右に曲がり、汗をかきながらどんどん奥へ進んでいきます。
途中で駅員が「荷物用のエレベーターを使うのですが、内部が臭いので我慢してくださいね」と言い出します。私も多くの駅で荷物搬送用業務用エレベーターを使っていることは知っていましたが、臭いとは知りませんでした・・・・。確かに生ゴミのような、トイレのような複雑な臭いです。でもこの際8時の列車に間に合ってくれれば文句はいうまい!。
まあ、おもいっきり汗をかきましたが、10分前にはホームに上がることができました。

JR大宮駅・東北新幹線下りホーム

ホームで駅員に切符を見せて、山形駅でのサポートが受けられるように連絡を入れるようにお願いしてから、14号車13ABの、乗車口に案内してもらいました。8分後には「つばさ181号」が入ってきて、後から加わった駅員とJRさんの車椅子を抱えてデッキの中へ乗せてくれました。うしろから「では行ってらっしゃい」の声と共に彼らの仕事は終わり。

8時0分
後から乗車してきた人達に先に入ってもらい私達もAさんの車椅子を押して車内へ。
と、思ったら第二のトラブル発生!山形新幹線は福島から山形まで在来線の線路を狭軌から広軌に変えただけのものでトンネルやホームはそのままです。ですから東北新幹線の車両より一回り小さく作られていて左右二席ずつです。そして通路も狭い。当然車椅子も中まで入れない。駅で元気良くお見送りしてくれた駅員は何もいっていなかったぞ!ついでに13ABは14号車側から入った方が近い!ときた。私もSさんもAさんも暫く呆然としていましたが、Aさんは「歩いていく」といってリハビリの時の要領で椅子をつたいながら揺れる車内を前に向かって歩いていきます。

JRの初っぱなからトラブルはありましたが、3人で13,14の座席を向かい合わせにして座って、お弁当で朝食を取り、暫くお喋りをして宇都宮を過ぎたあたりで3人ともお休みなさい。 私が気がついたのは郡山を過ぎて福島駅に到着する直前で、Aさんにおはようと声を掛けられてしまいました。

福島を出ると、米沢、高畠、上山温泉、そして終点の山形で約40分ほどです。福島−米沢間は峠越え、米沢−山形間はのどかな田園風景の中を走って行きます。

10時30分
そうして2時間半の旅は山形駅に無事に到着して終わりました。が、山形駅で出迎えてくれるはずの駅員が居ない!待てども待てどもといっても10分ほどですが、地元の友達が駅の柵の向こう側で待っていてくれるのに・・・、駅員は姿を現しません。
やっと現れた駅員は大宮駅と同じように「事前に連絡をくれましたか?」といいながらリフトをの用意を始めました。山形駅は山形新幹線のホームと外部の間が1メーターほどの段差なのでリフトを使って持ち上げてそのまま外に出れるようになっています。作業は2分ほどでした。

 山形駅はホームからリフトを使って直接外に出ることが出来る


今回の列車旅行を行なうに当たりAさんはずいぶん長いこと悩んでいました。 今回一緒に列車旅行を経験させてもらいましたが、Aさんが悩むほどのことは無かったように思います。たしかにJR東日本側の連絡ミスで途中時間に追われたり、ロスしたりは有りましたが、決定的なトラブルは有りませんでした。Aさん1人で旅行するのは大変でしょうが、仲間とわいわいガヤガヤと旅行するなら全く問題ないと思います。

なにより、Aさんは”たった2日間でしたが長旅をしたような感じでしたし、とてもhappyでした。”と感想をくれました。
Aさんには今回の経験をもとに、これからはもっともっと自由に旅行も楽しんでもらいたいと思います。

 
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